笑顔の法則⑩ 笑顔を定義する
笑顔は「社交的な笑い」を意味している
日本人は、自然を愛し、自然と共生しながら生活してきました。
笑いを非常に大切にした民族です。12月に行われる山口県防府市(ほうふし)の笑い講は有名です。鎌倉時代から800年続いている奇祭です。「ワーハッハ、ワーハッハ、ワーハッハ、・・・」と、テレビを見ているこちらももおかしくなって笑ってしまいます。
笑いがすべてのはじまり。
何でも笑いにつなげようというのでしょうか?
木や森が笑ったり、犬や猫がわらったり、疲れたら膝まで笑ったりします。自然に感謝に、何でも笑うのが昔の日本人の特徴でした。古事記にでてくる天照大神がお隠れになった天岩戸(あまのいわと)神話は笑いのルーツとして興味深い物語です。
「笑う」という字のルーツをたどると、その神話の中で天宇受賣命(アメノウズメノミコト)がセミヌードで踊り狂います。笹の枝を持ち、手を上に上げ踊っている姿が「笑う」という文字のルーツだという説。もう一つは、神社で行われる祈祷、御祓(おはらい)が長年の間に呼び方が変化し、「おはらい」「おはらい」・・「おわらい」「お笑い」へと変化したという説など。語源は定かではありませんが、日本神道に深く関わっていることだけは確かです。
笑いは日本の精神文化であり、外国人からみるとわかりにくいかもしれません。
言葉はその国の文化を表しています。英語では、Smile(笑顔)、Laugh(声を出して笑う)、Chuckle(くすくす笑う)、Grin(歯を見せてニコッとする)等々。言葉から笑いの表情や動きがわかりやすいです。
その点、日本語で笑いのバリエーションを表す言葉は多くはありません。微笑(ほほえむこと)、笑殺(大笑いする)、笑止(迷惑なこと)、笑死(ばかばかしいこと)、笑柄(笑い話の種)、笑貌(笑った顔)など、全くないわけではありません。しかし、日常会話ではほとんど使われず、正しい意味もわかりにくいものです。
笑いと笑顔を辞書で調べてみたところ、どの辞書でもほとんど同じ定義でした。「笑い」とは、わらうこと。あざけり笑うこと。「笑う」とは。口を大きく開けて喜びの声を立てる。おかしがって声をたてる。「笑顔」とは、笑みを含んだ顔。わらい顔(広辞苑/岩波書店)
笑いと笑顔は違うものと考えます。
すでに笑顔の法則①で問題提起したように、笑顔の定義を変えることを提案したいです。
笑いは、テレビを見ながら一人でも笑えます。笑いのない人はいません。笑いは本能です。しかし、笑顔は自分の心を開いて笑顔を投げかけるコミュニケーションの技術です。笑顔を自然に投げかけることのできる人は少ないです。日本人の悪い習慣は、笑ってごまかすし、自分らしさを封印し我慢してしまう点はなおしたいです。
そんな笑いの文化は、地政学的に恵まれ、海に囲まれて、四季があり、大自然の厳しさにも耐え忍びます。
笑いの文化は自然とともに共生して生きてきた日本人の原点です。
いま、国連が唱えている持続可能な目標「SDGs」は、日本人にとっては特別のものではなく、日本民族の知恵や日本文化そのものです。
世界から理解しにくい欠点は、人間の作った政治や社会をも自然の一部と捉え、我慢し妥協してしまう。
神の概念の違いに欧米の文化と大きな違いが見え隠れします。古事記に出てくる日本の神様は、貧乏神がいたり、エッチな神様がたくさん登場し、なんでも神になる宗教。優れた人間が神になります。イスラムやキリスト教では、人間が神になることはありません。創造神は絶対です。
このように日本語の「笑い」という言葉は、とても広い意味を持っています。いいように解釈しても、常に曖昧さが残ります。
日本の辞書では、笑顔とは、笑い顔と書き「社交的な笑い」を意味します。
社交的な笑いとは、辞令的な笑いや営業スマイルとは異なり、人間関係の中で相手を認めるという意味をもっています。
コロナ禍で社会が砂漠のような世の中になりつつあります。
だからこそ、私は笑いの中の「社交的笑い」=「笑顔」にこだわりたいです。